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日本人はなぜ遊ばないのか、遊べば日本は良くなる

日本人は遊ぶことを良しとしない。

日本では遊んでいる人間を良く思わない節がある。勤勉こそ美徳であると。

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そして、遊んでいる人間もこころのどこかで、罪悪感を感じている。

だから日本人は大手を振って遊ばない。いい訳を作りながら遊ぶ。

女遊び、宴会など、性欲や酒をいい訳にしたり、家族サービスや、仕事の息抜き、などを理由とする。


いやいや、遊ぶ事に理由はいらないんじゃないのか。

楽しいから遊ぶ。それで十分じゃないのか。


なぜ、遊ぶ事を日本人は肯定出来ないのか。

収穫も、製品も、傑作も、資本増加もない。
遊びとは純粋な消費――時間の、エネルギーの、創意の、技倆の、そしてしばしば金銭の消費――の機会である。

ロジェ・カイヨワ (遊びと人間より)

これは有名な本、カイヨワの「遊びと人間」からの一節だ。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

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ここでは遊びとは純粋な消費であると語られる。


なるほど、日本人は消費がヘタだから遊べないのでは無いだろうか。


日本人は消費がヘタだ。

有給だって消化しない。
あっても取れない!? 有給消化日数、主要11か国で日本は最低 | RBB TODAY

お金だってつかいません。


日本人は物を失うことを恐れすぎだ、保険だってかけ過ぎだ。
日本人は保険が好き [生命保険] All About


ここまで日本人が消費がヘタなのかは、皆さん、胸に手を当ててみれば、わかりますね。

主な理由として上げられるのは日本人は道徳が高すぎるので、お金などが無くなったときに、どうにかする事を躊躇するからですね。
改正貸金業法について - Chikirinの日記

でも、僕は思うのです。誰かを頼ればいいじゃない、と。




では逆に考えると消費がヘタだから思いっきり遊べないのであれば


思いっきり遊べば消費が上手になるのではないのか?ということです。



では考えてみましょう。

もし遊ぶ事が肯定できる社会が誕生すると、利点が2つあります。

1 思いっきり遊ぶ事によって遊び仲間というコミュニティが生まれやすい。

まず、しがらみや利害関係でのつながりが無くなります。

純粋に楽しいという理由でのつながることで、余計な事も考える必要もなくなり

各々、楽しい人間だと思ってもらえなければ相手とのつながりが切れてしまうと思うはずです。

すると相手を楽しませる、喜ばせる、などと言ったプラスな感情でのつながりが増えるでしょう。

そして純粋な意味で遊ぶということで人にお願い出来るというのはとても大きい事です。

なにかと理由をつけて呼び出すように遠慮してしまいがちです。

遊びたいから人を呼ぶというのはとても勇気の必要な行為です。

それが出来る友人を持つことが出来ればお願い事をする敷居も低くなるはずです。

そしてそのつながりがあれば、何かをお願いする友人も出来たことですし、存分に消費できるでしょう。


2 遊ぶためのクリエイティブによって社会が楽しくなる。

遊ぶことが一般になれば、遊びが多様化します。

カラオケやボーリングに行くだけの遊びだったものが、もっと多種多様になるでしょう。

遊びが肯定されていない社会では既存の遊びをする事しかできません。

商売が肯定されていない社会では昔から商売をしていた店だけが商売をする、といったように。

場所の提供だけではなく、社会を巻き込んだ遊びが増えるはずです。

例えば選挙だって、遊びみたいな物にしてしまえば、投票率も伸びるかもしれません。

都心で急に止まってみるといったイタズラがありますが、日本人と欧米人で対応に違いがあります。

日本人の場合、迷惑そうにしたり、眉をひそめるといったことが多いでしょう。やった人たちは叩かれます。

ですが、欧米だと遊びを肯定できているので、楽しそうにそのイタズラを受け止めていますし、クリエイティブだと思われます。

日本の電車では楽しむことを慎むように空気が促しますが、移動を楽しくして何が悪いというのでしょう。




というかんじで、遊ぶ事を肯定できれば社会が良くなるような気がするのです。

みなさん、ぜひボードゲームを広めましょうね!(結局これが言いたかった)


(あっさー)

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