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TANSANFABLOG

TANSANのブログです。

UNOがカードゲームのトップに君臨する理由

コラム


コンビニには必ずと言っていいほど、UNOが置いてある。(上のは置いて無いけど)


コンビニの棚はこの世の熾烈な商品争いを勝ち抜いてきた勝者達で構成されている。

先鋭中の先鋭が鎮座している。ゴールドマン・サックスとか、ミス・ユニバースみたいなもんだ。


ということはUNOは、アナログゲームの頂点であると言ってもいいのではないだろうか。

これに異論のある人は多いだろう。


僕もそうだ。

UNOなんかより面白いゲームはたくさんある。


しかしなぜ、UNOがUNOたり得て、あの位置に今も居座り続けているのか。

僕なりの考察はこうである。


”特定の相手を嫌な気分にさせることなく攻撃できる”


これがポイントなのではないだろうか。


もちろん、他にも要素はたくさんある。

ルールが簡単だとか、見た目がキャッチーだとか、盛り上がれるポイントが明快である所とか。

しかし、これはUNOに限った事ではなく、ゴリブリポーカーやニムトだってそうじゃないか。


でもゴリブリポーカーやニムトはUNOの座をいまだ奪うこと出来ていない。

それは


”特定の相手を嫌な気分にさせることなく攻撃できる”


が欠けているからでは無いだろうか。


UNOの特定の相手への攻撃とはUNOの特殊カード全てだ。

スキップ、リバース、ドローツー、ワイルド、ワイルドドローフォー

特定の相手とは自分の次の番の人であり、まずその人に降りかかる。

順番を飛ばされたり、カードが増えたり。

このカードを使うと誰にどんな効果が降りかかるのかがわかりやすい、順番も決まっているので、後腐れ無く使うことができる。

次の番の人に運次第で降りかかる災難を誰も不満には思わない。


ではなぜ特定の人でなければならないかというと、UNOが男女混合で遊ぶものだからである。

ちょっかいをかけたり、いじられたりするのはお約束の人でなければいけない。

こいつはいつもスキップさせれるという位置をみんな欲しているのだ。
スキップによって妙な連帯感が生まれたり、リバース合戦を繰り広げたり、といった適度なじゃれあい加減が必要なのである。


その点ニムトは特定の人を攻撃しにくい。常に攻撃は「誰かが6枚目をだせ」なのである。

ゴキブリポーカーは逆に、特定の人を攻撃出来すぎる。

それはちょっと辛い。少なくとも相手を選んで渡さなければいけないので抵抗を感じてしまう。


ここらへんをうまくやってるゲームは少ない。重いゲームにはあったりするけど、軽いゲームにはほとんど無いように感じる。


そもそも、UNOをする人たちはUNOをする事を目的としているわけじゃ無いからその方が都合がいい。

勝つことが目的ではない。勝つことは結果なのである。

だから遊ぶプロセスで「またスキップされたー」とか言わせられれば上出来だ。

「順番全然回ってこないよ―」とか「カード8枚も貰っちゃった」とかそういう不幸自慢をみんなしたくてウズウズしているのだから。

彼らは、ゲームをするために集まるのでは無く、集まったからゲームをする。

UNOはコミュニケーションのオマケみたいなもんだから、戦略とか、リスクとかそういうのはどーでもいいのだ。


親しい間柄でのちょっかいみたいな感じで、特殊カードは使われるのだから。思いついたら直ぐ実行可能くらいのタイムロスのなさが場の空気を作る上で重要なのだ。


だから、ワイルドドローフォーというドイツゲームにはまず存在しないようなチートみたいに強力なカードだって存在する。


ボードゲーマーなら、こんなにも強力なカードを運で分配するのは良くないだとか、これがルールを破綻させているだとか言う。

僕だってコロレットの虹色カメレオンには文句たらたらだ。

ドイツゲームっぽいUNOがあるとすれば、このカードを使うには手札を5枚増やすだとか、一定の状況でしか出すことが出来ないだとか、使うとマイナスだとか、なんだかんだで、リスクとリターンをきちんとつけようとするだろう。

でも、これはコミュニケーションが目的のゲームだから、そんなことしなくていいのだ。

こころおきなく隣の奴にワイルドドローフォーを使えばいいのだ。そいつはドローツーを持っているのだから、「待っていました」とばかりにドローツーを出すだろう。



「ウノ!」

と言うのを忘れたらペナルティ、くらいがちょうどいい。

終わるかもしれないし終わらないかもしれない、あたりでドキドキさせれれば山場として合格である。

「ウノ言うの忘れてたー」というお決まりのミスで誰でも簡単に盛り上がれる。


コミュニケーションにおいては、偏りが大きい方が話が弾ませられるし、均衡からは話は生まれない。

盛り上がるためには極端でなければならない。

ここらへんはA型、B型論も同じだ。

コミュニケーションは差異から始まる。差異を埋めるための手段なのだから。



と、言う感じで、UNOは場を持たせながら話のタネにできる、ちょうどいいぬるま湯加減のゲームなのである。

あくまでコミュニケーションの付属品を主張することでその位置を得たUNO

ゲームをする事に重点を置くドイツゲームにはUNOの椅子を奪うことはムズカシイと思う。

将来、コロレットなんかがそれを奪ったりすると面白いんだけどな。

(もちろんコミュニケーションゲームというのも存在するが、コミュニケーションをゲームのシステムとしているので結局はゲームしている。)







あの任天堂の宮本さんをもってしても、結局メールを打つのが面白いと言わしめているんだから

ボードゲーム人口の拡大はムズカシイんだろうなー。



(あっさー)

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