浅草でオバケだぞ〜
人間の記憶とは曖昧である。
我々が瞬時に覚えておけるものは数字だと7つほどだそうだ(関係性のない全く別々の事柄として)。
これをマジックナンバー7と言うらしい。僕にはそれすら微妙である。
そんな僕のしょぼい記憶であるからこそ、覚えるということがゲームになり得るのである。
だからといって記憶のゲームを作ると、ボードゲーマーの間では「記憶ゲー」と呼ばれることとなる。
この「記憶ゲー」というのは若干の侮辱的表現である。
だいたいの使用方法はこうだ。
「なんのゲームする?」
「リミットとかどうかな」
「えー、記憶ゲー*1じゃん、やだよー」
や
「なんのゲームする?」
「マンマミーアなんてどう」
「えー、記憶ゲー*2でしょー、やだー」
なんて感じである。
実際ボードゲームは記憶力があると強い。カウンティングというやつである。
僕はこれが激しく嫌いだ。
カウンティングが公にされているゲームならばともかく、そうでないゲームを必死にカウンティングしてはいけない。
ゲーム中は何となくの記憶を頼りにすべきなのだ。
けっして自分の記憶力から言っている訳ではない。
もちろん神経衰弱は必死に記憶すればいい、そういうことを言いたい訳ではない。
何を言いたいかといえば。
このオバケだぞ〜は「記憶ゲー」のようでそうではないのである。
このゲームは雰囲気がいいのである。
真ん中の子供ゲーム大賞のマーク、かわいい。年間ゲーム大賞のマークをぎゅっと縮めたらこんなかわいいことになってしまうのだ。是非子供フェデュッティ・ゲーム賞のマークも作って欲しい。
ね、このボードいいでしょ。階段がマスになっているアバウトさ。ボードというより絵である。一枚の絵。
が、しかし、サイコロに2つオバケマークがある。これを出してしまうと。
こんなことになってしまう。
これでは自分のコマがわからないではないかー!
オバケの中には磁石が仕込まれている。一度かぶせるともうコマはくっついたままである。
そんなことで驚いてはいけない。またオバケがでると、オバケ同士を入れ替えれるのだ。
なにするだー
そして、さらにむずかしいルールにはそもそもの色を取り替えるということも可能なのだ。
もうワケわからん。
こうなるともう何が何だかさっぱりである。
もはや、誰ともつかないコマをゴールへと向かわせている。
誰かのコマがゴール、確認してみる。
「なんや、お前のコマかよ、トホホ」
「やったー、ラッキー」
ってな具合である。
これは4人よりもっと多い方が面白いと思い、早速拡張をしてみる。(準備万端なことに一緒に買っておいたのだ)
これについてきたボードもいい。もう最高。拡張の名に恥じない。
枠を感じさせないつながりである。
DSの画面と画面のつなぎ目みたい。
が、しかしここで私は脳みそを揺さぶられるような衝撃をうける。
それで、コマも違うのだ。
見よ、右が拡張である。こいつ・・・角刈りなんかよ・・・
なんと拡張は頭に磁石がくっついていたのである。
オロドキ!
だからこんな事も出来ちゃう。
「マッスル・リベンジャー!!*3」
わかる人いるかな。
おかげでもう散々なのはだいたいわかると思う。
テンションも下がる一方である。
よってこれから、このゲームは細目でやることにする。
もやもやした視界でやるのだ。
メガネをかけているヤツは外せ。コンタクトも外せ。3Dメガネをかけろ。
薄暗くしろ、テレビだけをつけろ。
煙をいっぱいに焚くのもいいかもしれない。
よし、朝起きて直ぐやるぞ。しかも4時にだ。
しかも、浅草寺の常香爐の横で煙を浴びながらだぞ。
目がしょぼしょぼになるから好都合だ。
頭はよくなるかもしれない。
もうそんな感じになるしかない。
(あっさー)
*1:リミットは記憶ゲーではありません。リミット増やすという仕組みによってブラフの要素や、えーないやろー、誰も言わんといてーのような心理戦が楽しめるようになっています。決して記憶ゲーではありません。
*2:マンマミーアは記憶ゲーではありません。レシピの追加のタイミングや、手札の補充、最後に追加できる。そして何より軽快な遊び口でとても楽しい時間が過ごせます。決して記憶ゲーではありません。
*3:キン肉マンに出てきたキン肉マンマリポーサというヤツの技の方です。上から頭突きしながらロビンマスクをマットに沈めるというよくわからないけど強烈な印象を残す技でした。結局これは間違ったマッスル・リベンジャーだったのです。よくわかりませんね。